僕達、大人は大声で…

僕達、大人は大声で叫ぶ事を忘れてしまった。
大きな声は出せず、人の目も上手く見れない。
また同時にその過程で探求心も失った。


子供の頃は高校生でさえ大人に思えた。
僕は青森県出身で、住んでいた所もそこそこ田舎だった。毎日人が行き交う仙台とは程遠い田舎だ。僕の通う小学校の近くには中学校も高校もあった。だから僕達は中学生や高校生を「僕達の通学路」で
あの頃は見ていた。 自分よりひとまわりも、ふたまわりも大きな彼らに、あの頃は憧れと恐怖を感じていた。
僕もいつかあんな風に大きくなれるのかな、そんな風に当時120cmの僕は思っていた。


今年で21歳。中学生の頃、周りに流されて好きだったAKB48は、いつでも自分達より少しお姉さんでキラキラしてた。でも今は自分より若い子がテレビの画面の中でキラキラしてる。そんな事にも、もう慣れちゃったけど、最初は割とショックが強かった。その時間軸から6年、自分は何してたんだって自分を攻めちゃうからね。


昔から「1年」って言葉が嫌いだった。


僕達が生きてきた必死な1日1日の積み重ねの365日がたった「1」という数字で表されるのが大嫌いだった。夏休みの読書感想文でその事を題材に読書感想文を書いた9間少年は周りの同級生達に馬鹿にされたのを覚えている。ただ1人笑わなかった担任の先生。あの人の事も忘れない。



子供の頃は授業中寝る事も無かった。あの頃、僕らは算数の教科書に出てくる「ドルフィン魔法学校」に夢中だった。算数の授業、今で言えば数学の授業。やっている根本は一緒の筈なのに、今はつまらく感じてしまう。


中学からは軍隊のような生活だった。この頃から段々と運動神経に個人差が出始めて、出来ない奴は後ろ指を刺され、出来る奴らは指を刺す側だった。指を刺してるのは本当は1人か2人。でも見えない何かが刺さっているのは、あの頃の僕でも分かった。中学生の頃、僕はまだ身長が150にも満たなくて、そりゃあそこまで体格差があれば、あんな長い跳び箱なんて飛べなくて当たり前だよね。とにかく自分が嫌いになった。勉強も苦手に感じていたのはあの頃だけだった。定期的に来る「試験」はただのランク付けだった。そんな物に嫌気がさし始めたのは13歳の頃だった。皆と一緒の歩幅で、同じ分だけ歩く世界。ちょっと足が短いと着いていくのに必死にならなきゃいけない。その先には大した事なんて無いのに。足が長い人は皆に合わせないといけない。1人だけ長いなんて「欲張りで狡い」事だから。



そんな中学生活が大嫌いだった。



でもあの日だけは違った。



2011年3月11日、東日本大震災



僕達の世界は一変した。



電気は付かない。食べ物は取り合い。
温かさも無い。笑えない。

そんな社会のムードとは裏腹に

電気に集まり、食べ物を分け合い、
温かさを共有し、笑ってた。


不変な日常の地続きな雰囲気が壊れて、
あの頃は仲良かった運動神経の良い奴、
あの頃は仲良かった勉強が出来る奴、
あの夜は皆がフラットに笑えてた。


あの夜があって良かった。


その1ヶ月後、僕は親の転勤と共に、
青森を離れる事になる。




すこし振り返ってみると、
確かに僕は大きな声で叫んでいなかったし、
叫ぼうっては思ってたみたい。
探究心も子供の頃に比べたら知ってる事も増えたし
なくなっちゃってもしょうがない。

それってあんまり悪い変化じゃないなって…
何にも無い毎日が楽しいわけじゃないけど、
僕らはいつだって僕や私や俺だったし、
過去に悩まされるのはもう御免。





だから僕達大人は聞こえるくらいの小さな声で、
「楽しむ事だ。」って伝えるべきだ。





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2018.12.26 9間